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留学体験記

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渡辺君 1998年12月〜1999年11月

私は高校3年生の時、ニュージーランドへ留学しました。その年は1998年だったので、今から6年前ですね。
ニュージーランドへ留学する前、私は2回ほど海外へ行ったことがあるのですが、いずれも勉強メインではなく、ただの観光旅行でした。
なぜ私が留学をしたかというと、別に英語が話せるようになりたかったからではないんですよ。ただ漠然と、自分が置かれている環境を脱出したかったからなんです。今だからいえるんですが、当時の私は毎日が退屈で、ため息ばかりついていました。それで思いついたことが、留学だったのです。今考えれば、なんとも好都合な発想だったと反省しています。

アロフトプランニング代表、留学コンサルタントの結城さんと留学の日程や学校などを調整し、とんとん拍子に話が進んでいきました。そして、出発の日が近づくにつれて私は不安で心がいっぱいになっていきました。なぜなら、私は18年間という歳月を生きてきて、それまで満足に英語の勉強をしたことがなく、文法はもちろん単語もほとんど知りませんでした。もちろん中学高校と英語の授業はありましたが、まったく勉強をしようとはしませんでした。だから、恥ずかしいながら、毎回のテストでは1ケタ台の点数しか取ることができませんでした。そんな私が英語圏に留学すると聞き、両親はもちろん友人や学校の先生も皆、私が留学など出来るはずないと思ったようです。

渡辺君の通った学校

出発当日、両親との挨拶もそこそこに、私はニュージーランドへ旅立ちました。目的地はクライストチャーチ。私は、高校の新学期が始まるまでの1ヶ月間、クライストチャーチの語学学校で勉強することになっていたのです。
約10時間の空の旅、飛行機はクライストチャーチ空港に到着。希望よりも不安いっぱいの私は、生まれて始めてたった独りで海外の地を踏みました。そして着いて間もなく、第一の試練が待ちかまえていたのです。それは税関審査です。もちろん税関の人たちは現地の人なので使っている言語は英語。すご〜く大変でした。何を言っているのか100%理解できなかったからです。
その税関との長〜いバトルを何とかやり過ごした後、第2の試練が待ちかまえていました。それはホストファミリーです。もちろん彼らも英語しか話せないの

クラスの仲間と(左が渡辺君)

で、私は彼らと意思疎通がまったくできませんでした。私は、初めはどんな質問にも「イエス」しか返事をしなかった(出来なかった)ので、自分が食べられない物を食べさせられたことが何度もありました。彼らは「セロリ好きですか?」と質問をし、僕の返事は「イエス」。ちなみに僕はセロリが大嫌い。
語学学校でも、毎日が戦いでした。先生が話すことも質問することも、そして説明してくれる内容も全く理解できず、ノイローゼになりそうでした。ほとんど理解できないまま、あっという間に一ヶ月が過ぎてしました。

今回の留学の目的が現地の高校で勉強することだったので、その高校のあるゴールデン・ベイという場所へ移り、新しいホストファミリーとの生活がスタートしました。そのホストファミリーはとても素晴らしい人達で、私の、会話にならないような英語を理解しようと努め、その都度正しい話し方を教えてくれ、そして私にでも理解できるよう簡単な言葉でゆっくり話しかけてくれました。そして本当の親のように私のことを心配し時には厳しく叱り、そして一緒にスポーツを楽しみ旅行にも行きました。彼らとは現在も連絡を取り合い、近況を報告しあっています。
ちなみに2003年3月、私は彼らに会いに再びニュージーランドを訪れました。彼らはゴールデン・ベイからマルボロに移転していましたが、依然同様私を息子のように出迎えてくれました。


ホストファミリーとの旅行で

高校の生活でもやはり英語に悩まされました。当然のことなのですが、授業が全部英語なので全然理解できませんでした。しかしながら、そこで生活していくうちに、だんだんと英語が理解できるようになっていったのです。もちろん、一所懸命英語の勉強をした成果もあると思います。そして始めは大変だった英語の授業にも慣れてきて、次第に授業を楽しむことができるようになりました。
ゴールデン・ベイの学校はとても良い学校で、先生はとても親切で初め英語を全く理解できなかった私に、根気よく指導してくれました。そしてクラスメイトや他の学生たちともとても仲良くなり、学校帰りや週末、そしてホリデーなどよく一緒に遊びました。
また、ゴールデン・ベイはとても小さな町でしたが、そこで生活する人たちも皆とても親切で、町ですれ違うときは皆笑顔で挨拶してくれました。こんな環境があったからこそ、英語が全く出来なかった私でも、最後まで無事留学生活を送れたのだと思います。

楽しい日々はあっという間に過ぎていくもので、気がつくと帰国の日が近づいてきていました。ホストファミリーとの楽しいクリスマスを過ごし、約1年間の留学プログラムを終えて私は帰国しました。帰国後、私はあの大嫌いだった英語を大学で勉強しました。大学では英語研究会に所属し、2002年には会長を務めました。留学前には考えられなかったことです。
私は、留学は人間を変えるひとつの手段だと思います。なぜなら、きっかけはどうであれ、留学によって私は、留学前には考えられないほどものの見方や考え方が変わりました。あなたも留学をすることで、自分を変えられるかもしれません。私が変わったように。
最後に、私はこの留学から得た体験が私の人生の糧になっています。留学をして本当に良かったと、自信を持って言うことが出来ます。

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